夏目漱石と正岡子規

古い歴史を持つ日本寺には、数多くの文人、墨客が訪れ、名句、名詩、名文を残しています。

 

明治文学の巨星夏目漱石は明治二十二年、23歳で房総を旅した際に日本寺を訪れており、この房総旅行を級友正岡子規に宛ててつづった漢文紀行「木屑録(ぼくせつろく)」 を完成させました。

その中で漱石は、鋸山の勝景を激賞し、名刹日本寺の衰微を大変悲しんでいます。


その約2年後、正岡子規は25歳で房総を旅し、日本寺を訪れています。

この時の旅について綴ったのが「かくれみの」です。

 「鋸山二首その一 意訳文」

独り岩窟に踞りて魔界を望む、

心境は広々として身安らかなるを覚ゆ。

撩乱たる桜花石仏の頂に落ち、

幽芳たる春風人の面をうつ。

いつしか山中の栄枯を忘れ、

世上の苦楽も心中より消ゆ。

見下ろせば海門風浪高く、

外船黒鉛を吐いて東京湾に入る。

 「鋸山二首その二 意訳文」

来り上る房州第一の峰、

群山低く並びめぐりて碧きこと千重。

長空海に連なるところ隼過り、

岩石山を成せば老松なし。

雨は仏衣を蝕みて苔密に覆い、

花は千洞を蔵して露痕あつし。

忽然雲起りて風気なまぐさし、

いずこの岩かげに臥竜ひそむや。