日本寺は1300年の長い歴史の中で度重なる戦火による荒廃と復興を繰り返してきました。
近年では昭和14(1939) 年の登山者の過失による山火事により、仏像や本堂を含む建造物など文化財を焼失してしまいました。その後、すぐに復興計画が立てられましたが第二次世界大戦時に鋸山が軍の要塞となり、当時の復興協力者の死去や資金面、国定公園指定化などにより復興が遅れ、現在に至っております。
現在、参拝者の寄付および拝観料から復興を進めております。
【昭和の大仏復元工事】
鋸山の中腹に彫刻された大仏『薬師瑠璃光如来坐像』は、当初は台座共9丈2尺の磨崖仏像でしたが、江戸末期になって、自然の風触による著しい崩壊があり、頭部の半分が崩れ落ち、膝の部分も埋没した状態になってしまいました。
昭和に入り彫刻家八柳恭次氏の指導のもとに昭和44年、4カ年の歳月を費やし大仏の復元が完成いたしました。
【階段整備】
日本寺の石段は長年の風雨にさらされ、参拝者にとって歩きづらく危険な状態にありました。
建物の修復に先立ち、昭和56年に石段の再整備を実施しました。
【薬師本殿・大黒堂・書院・庫裡の建築終了】
本堂建設に先駆け、本尊安置のための薬師本殿、および解体予定の周辺施設等の機能移転を行うため、第一期復興工事として平成9年より平成19 年にかけて上記の建物を建築いたしました。
【本堂】
現在の仮本堂と周辺施設を取り壊し、新たに本堂を建設予定です。 平成21年より本堂および周辺施設の建築に向けた工事が始まります。